下咽頭癌顛末記

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下咽頭癌顛末記

Y.A

 

しばらく前から食事時喉に違和感があった、食べ物がのどを通る時何かに当たるような感じ・・・

当時心臓で通っていた「J大学付属病院」で耳鼻咽喉科を紹介してもらい診察に行った。

2008年7月22日診察、最初に内視鏡で見たところ異状が見つかった、すぐ細胞をとり検査に回した、当日頸部CTを実施。

7月27日再診に行ったところ、“癌の可能性がある”云われ 後頭部レントゲンを指示され、“癌の場合は、手術に14時間以上掛る、遊離空調が必要な下咽頭癌で当病院では対応できないので他病院を紹介します”と云われた。

「遊離空調」って何だろう、当時はそんな感じでした、すぐにネットで調べた。

 

7月31日家内を同行して再度診察、正式に下咽頭癌を告知された、ステージWだった。私は覚悟していたのでショックは少なかったが、家内は相当衝撃を受けたようだ。同時に紹介してもらう病院を相談して、東京のT大学付属病院に決めた。後日考えるとこの時点でK大学附属病院にしておけばよかったと思うが、手術後の発声に関しての検討まで気が回らなかった。

 

翌8月1日T病院で診察、まず内視鏡検査をし、紹介状を見ながら、循環器からの資料も貰ってきて下さいと云われ、元々心臓が悪く治療中だった。8月5日再診に来るよう云われた。

 

8月5日診察、喉頭部透視(バリューム)、血液検査、心電図、呼吸機能検査、胸部レントゲン 

PET検査等手術前検査を実施、検査は病院内と外部の委託病院に分けておこなった、治療法の話になり、“抗がん剤治療の方法もあるが、循環器科の見解も含め手術が最適で、転移していると思われる個所は、幅広く両頸部郭清術で取る、手術後30回位の放射線治療をする” と云われたこの時点で声が出なくなる事を覚悟した。

 

事前に少しネットで調べていたが、手術が可能な場合は喉頭全摘出の手術に決めていた、中途半端では再発の可能性があると自分なりに判断していた。新聞紙上で発声機能を残し再発した癌で亡くなった著名人の記事が何件かあった。

手術は当初10月になると云われたが、最終的には9月10日に決まった。医師から、手術時間は約12時間位、耳鼻咽喉科では難手術の一つで、喉頭の全摘出 術後は声が出なくなる。食道の摘出(長さは不明)取った部分は自分の空腸で補う。 幅広く呼吸のための人工気管孔をつける、等を云われた。

 

9月10日 11時間に及ぶ大きな手術、5日間ICUにいて、16日に一般病棟に戻ってきた、26日強引に退院し、10月いっぱい放射線治療のため、外来で通院した、その間立眩みで倒れたり色々あった。

 

手術前に発声についてネットで調べた、埼玉にも喉頭摘出者の発声訓練場所がある事を知り、入院前に訪問して喉摘者の現状を見てきた。当初話をしたのは手術後5年以上で発声を教えている教官だった、当時はここで訓練すれば声が出せるようになると思った。

 

退院し外来で放射線も終了後、フラフラしながらもホワイトボードを持ち歩き、筆談で外に出かけるようにした、何回か発声教室に通いましたが、心臓病の人は訓練で心臓に負担が掛るので、電気発声が良いと云われ器械も購入した、新年になり発声教室で新年の挨拶の時皆さんの 声を聞いた、EL発声では、今後会合に出ての話は無理と感じた、しかも食道再建者は食道発声で話が出来るようになる人は半分もいないとの記事もあり、実際に教室では3年4年訓練に通って 、声は出ても話が出来ない人が多くいましたし、なんとか上手に話しているのは喉頭がんの方が多かったようです。真剣に他の方法がないか調べました。

 

ネットを見ていると、欧米では人工喉頭を付けて発声をしている患者が多くいるとの記事があり、あちこち調べると日本でも実施している病院がある事が分かり、病院の医師に記事をコピーしてこの手術を依頼すると、当病院ではしてないとの返事があった、そこで実施している病院のリストを持ち込み再度依頼して紹介状を書いて貰った、 それが東京のK大学付属病院です。

 

下咽頭癌の手術後10カ月、2009年7月、1週間入院し気管食道シャント手術を行い、ヨーロッパから輸入しているプロヴォックスボイスプロゼーテを入れてもらった、この方法の良いところは発声するのに特別な訓練がいらない事です、私の場合も手術後1週間で声が出るようになった、埼玉県ではまだ実施している病院はないようですが、全国的には少しずつ増えているようで、東京では4〜5病院あるようです。

 

日本では喉頭を摘出した人が声を出す為に何年も訓練しています、それでも声を出せない人が相当います、なぜこの手術が一般的にならないのか理由が分かりません、私もまだ手術後の後遺症が色々あります、しかし話している事は大体分かってもらえます、体も動けるようになってきました、

 

リタイア後の生活設計は大きく狂ったが、動ける間は出来るだけ外に出たいと思っている。

東京に喉頭摘出者の会があった。この手術をした患者が多くいる「悠声会」です、この会にはシャント手術する前、ホワイトボードを片手に手話で事前に来て皆さんの声を聞いていました、 退院後昨年11月に入会しました。

今年はこの会の活動の手伝をしたり、埼玉にある癌患者の為に募金を集める会「リレーフォーライフいん埼玉」の活動を手伝う事にした。

 

これからの人生を、あまりクヨクヨしないで、のんびり・ゆっくり、楽しんで・・・・・・

 

20102

 

 
 

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